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小瀬川館跡

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小瀬川館(瀬川城)跡▽
「川ふたつ」詩碑/宮沢賢治▽


小瀬川館(瀬川城)跡】 
地図/YahooMaps 小瀬川館(瀬川城)説明板と館跡
小瀬川館(瀬川城)説明板と館跡


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 花巻市内より県道花巻温泉線を花巻温泉方向に約5.5km進んだ小高い丘に小瀬川館(瀬川城)跡があります。その高台は現在住宅地になっており、遺構らしきものは下写真の木標と説明板のみが見受けられます。木標は県道沿いの擁壁上部に、説明板は住宅地の裏手(西側)にあります。
 現地説明板から、上記地図の赤い範囲が小瀬川館(瀬川館)跡と推測しました。カメラマークは各写真に、チェックマークは木標・説明板・詩碑を示します。
 基本的に住宅地ですし、特に遺構らしきものは残っておりませんので、見学するさいは迷惑にならないようにしてください。もちろん駐車場は特にありません。県道は交通量が比較的多いので駐車はできません。

小瀬川館跡(瀬川城)

 小瀬川館は、瀬川右岸の丘陵地にあり、北側で鍋割川が合流している。以前は花巻湯元街道が東側を通っていたが、現在は館の中央部を県道が通っている。小瀬川館は、稗貫地方一帯の中世領主・稗貫氏の最初の居城であると伝承されていたようである。他にも瀬川氏の祖といわれる大瀬川氏の居城であったという説もあった。江戸時代の各文献にはその伝承に沿った記述が多くみられる。

旧館

 昔、誰人の此城主たりと言事を伝へじ。或村人言。
 昔此所、大瀬川領主の所領也と。然れは大瀬川領主、
 爰に在住せし事もあるか。又一説に、稗貴家先祖最
 初に居城ともいへり。いつれか正説にや。

松井道圓著『和賀稗貫郷村志』

 館の主体部は、鍋割川に沿って東西に細長く延びた比高10mほどの丘陵上にあり、途中を幅約5m、深さ4mほどの空堀で切断し、南側に幅3〜4mの土塁と空堀を巡らした跡が残っている。住宅建設に伴い岩手県教育委員会が館の一部を発掘調査したが、すでに削平にされていて遺構らしきものは確認できなかった。館の西側に続く丘陵地には、殿様の墓と伝わる二基の方形の盛土や的場という地名も残っている。

小瀬川館跡(瀬川城)木標
小瀬川館跡(瀬川城)木標

小瀬川館跡(瀬川城)県道北側より
小瀬川館跡(瀬川城)県道北側より

小瀬川館跡(瀬川城)県道南側より
小瀬川館跡(瀬川城)県道南側より

小瀬川館跡(瀬川城)南側より
小瀬川館跡(瀬川城)南側より

小瀬川館跡(瀬川城)西側より
小瀬川館跡(瀬川城)西側より

小瀬川館跡(瀬川城)南側を西側より
小瀬川館跡(瀬川城)南側を西側より


「川ふたつ」詩碑】 
地図/YahooMaps 「川ふたつ」詩碑(表面)

「川ふたつ」詩碑(裏面)

 上記小瀬川館跡(瀬川城)より県道を挟んで向かい側にある石碑です。自動車工場の建物の陰にありますので、ちょっとわかりづらいかもしれません。専用駐車場なし。路上駐車不可。
 1979年に襲った集中豪雨により決壊した瀬川と鍋割川を、積年の悲願であった護岸工事による治水事業が行われました。「この碑は多くの人々の慶びを記念し永く世の人々に伝えるため、宮沢賢治が川にちなんでよんだ詩を、詩人草野心平の揮毫によって記し建立したものです」(石碑裏面より)

「川ふたつ」詩碑
川ふたつ
ここに集(つど)ひて
はてしなく
萌ゆる水沫(うたかた)

宮沢賢治

「川ふたつ」詩碑周辺風景
「川ふたつ」詩碑周辺風景

鍋割川(左)と瀬川(右)の合流点
鍋割川(左)と瀬川(右)の合流点


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