岩手県花巻市石鳥谷町の街なかにある史跡、宮沢賢治肥料相談所跡、好地一里塚跡、井筒屋跡を写真や地図で紹介しています。
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※
は宮沢賢治関連を示す
街中にある史跡、宮沢賢治肥料相談所跡、好地一里塚跡、井筒屋跡
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町なかにある史跡
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宮沢賢治 石鳥谷肥料相談所跡▽
奥州街道 好地一里塚跡▽
酒造店 井筒屋(小野家)跡▽
■かもめの玉子、三陸海宝漬、ごま摺り団子■
奥州平泉土産処 ジパング
■南部煎餅、ずんだ餅、前沢牛■
【
宮沢賢治 石鳥谷肥料相談所跡
】
地図/YahooMaps
県道285号(盛岡石鳥谷線、旧国道4号線)の花巻警察署石鳥谷交番の斜め向かい(東北方向)にあります。しかし、この説明板以外はなにもありません。駐車不可能。
宮沢賢治 石鳥谷肥料相談所跡
昭和3年3月15目から1週間、ここで
宮沢賢治
先生による肥料相談所が開設されました。これは、賢治先生の愛弟子であった菊池信一氏の努力と、当時の柳原一郎町長や照井源三郎氏の協力によって実現したものでした。
当時の相談所の面影は写真でしかわかりませんが、菊池信一氏は、「石鳥谷肥料相談所の思い出」の一文に、その模様を次のように表しています。
『店には八畳敷と
土間
が提供され、荒作りの大きな卓子(テーブル)と火鉢が二・三個あり、囲りの壁には三色で無造作に描かれた肥料と水稲の図が十数枚貼られ、かぜにガワガワゆらいでいた。毎朝7時半の列車で
石鳥谷駅
におり立った賢治先生は、
羅紗
(らしゃ)の鳥打(とりうち)帽子に茶羅紗の洋服をまとわれていた。そして、ゴムのだるま靴を履かれ、鞄を抱えた左肩を斜めに上げて右腕を大きく振って来られた。
相談所にはすでに10人も待って居り、農民達は皆外に出て先生を迎えた。
毎朝午前8時より午後4時まで休む暇もなく続けざまに肥料設計をされたが、煙草を喫わない先生は一々ていねいにお辞儀をされながら用紙を取り出して順番を譲り合っている農民に対応された。
「石鳥谷の人達はみんな質がいい」先生はいつか云われた。そして又「河西の人達は一帯に土地が痩せていて農作には尠(すこ)しも油断がならないのです。こうした一面からも因襲的に村の人達の性質が培われるのでせう」と。9時10時とすすむにつれ、人が増えて来た。仕事を分担して僕は土地の景況と前年度の栽培状況を調査。先生はその後をうけて今年度の施用肥料の後をうけて今年度の施用肥料の設計をやられた。
人馬力で30枚ほども整理し、お昼飯をしたのは1時すぎだ。午後は「稲作と肥料」に関する講演であった。
その年は天候不順であったが、設計に当たっては陸羽132号種を極力勧められた。これにより秋は2割方増収であった。」
この肥料相談所と周りの情景を
詩「三月」
として賢治先生は残されています。
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【
新奥州街道 好地一里塚跡
】
地図/YahooMaps
江曽一里塚
好地旧一里塚
県道285号(盛岡石鳥谷線、旧国道4号線)の花巻警察署石鳥谷交番の北側、上記石鳥谷肥料相談所跡の向かいにあります。しかし、この説明板以外民家しかありません。駐車不可能。
奥州街道 好地一里塚(こうちいちりづか)跡
好地
一里塚
は、この付近にありましたが、昭和26年ころになくなりました。
築造は、
明暦
4年(1658年)ごろと考えられ、大きさは5間(9メートル平方)四方で、塚は
街道
の両側に築かれていました。一里塚は、
江戸
日本橋
を基点として一里(約3.93キロメートル)ごとに整備されたもので、普通は榎か松が植えられていましたが、この場所には欅(けやき)が植えられていました。
なお、好地一里塚は数えて江戸から133番目になっていました。
ここから南へ一里、江戸から132番目は
江曽一里塚
です。
ここから西のバイパス沿いにある
古奥州街道 好地旧一里塚
があります。
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【
酒造店 井筒屋(小野家)跡
】
地図/YahooMaps
県道285号(盛岡石鳥谷線、旧国道4号線)の岩手銀行石鳥支店の北側、蔵の形をした公衆トイレの前にあります。しかし、この説明板以外関係したものはありません。岩手銀行駐車場の利用は承諾の上、可能。
酒造店 井筒屋(いづつや)跡
この地に明治39年まで井筒屋という酒造店があった。
井筒屋の祖先は紫波町上平沢で酒遺業を堂んだ村井権兵衛(志和近江屋の祖)の養子の唯貞で隠居後、当時交通の要地であった郡山(日詰)に出店を設け、権右衛門を称して井筒屋を名乗った。
元禄3年(1690)に権右衛門は京都で質屋を営み、江戸でも連絡店兼質屋を開いた。以来、小野姓に復して指揮総覧し、京都−南部間を往来した。
小野家は維新後、本店を京都から郡山に移し、明治29年に8代目権右衛門慶善の時、郡山から石鳥谷に移した。
小野家が石鳥谷で初めて酒遺業を営んだ年代似明らかでないが、本店を石鳥谷に移す前までは使用人や別家によって酒造りが行われていた。幕末期頃の同家の家屋と店舗は京都や大阪、盛岡、郡山、石鳥谷などに十数ヵ所あったといわれる。
同家は当町で「七福神」という銘柄を造って売り出したが、明治39年に廃業した。「七福神」の銘柄は菊の司酒造(株)七福神工揚が引き継いで現在に至っている。
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