岩手県花巻市近郊の北上市相去町にある南部・伊達藩境塚とその周辺を写真や地図で紹介しています。
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※
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南部・伊達藩境塚
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南部・伊達藩境塚▽
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【
南部・伊達藩境塚
】
地図/YahooMaps
北上市九年橋より南に約1km。駐車不可。
一里塚の由来
天正
19年(1591)、
南部氏
は
北の方
から南へ、
和賀郡
〜
上閉伊郡
まで、
伊達氏
は南から北の方へ、
胆沢郡
〜
江刺郡
までを
領有
するようになった。それまで郡界についてあまり問題にしていなかったが、両藩が境を接するようになってにわかに境筋が問題になり、
境界
争い
が各所でおこった。
こうした境界争いが幕府への訴えとなるまで発展し、
寛永
18年(1641)12月2日、
江戸城
で幕府
老中
立ち会いのもとに絵図面に境界がつけられ、文書で協定ができた。
翌年6月10日から両藩役人立会いで、絵図面にしたがって(真の境界は三界山)
奥羽山脈
駒ヶ岳
から
国見山
北五輪峠を経て
気仙郡
桐ノ浦崎(今の金石市唐丹)までを直線にして130kmにわたり、要所要所に塚を築き、さらに重要箇所には挟塚といって特に大きく南部側に一つ、仙台側に一つセットにして築いた。
また、協定文の中に「
夏油
側の水は半々に用いること」という一ヶ条があり、
伊達藩
としては六原野を開田する意図を暗に含めたつもりであり、後、(
寛文
年間)
南部藩
へそのことを通告したところ断られ、かえって南部藩に岩崎を開田され岩崎
新田村
がおこされたと、いう後日の話もある。
現在の塚は、資料に基づいて復元したもので、この塚を境に北に南部藩、南に伊達藩の
番所
がそれぞれ置かれていた。
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