花巻タイトル

高濱虚子、巌谷小波、下村海南、与謝野寛、与謝野晶子、九條武子、大野林火、清水棲魚、山口青邨、吉井勇、金子兜太 花巻温泉内のそれぞれの詩碑・歌碑

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「秋天や 羽山の端山 雲少し」高濱虚子▽
「釜渕の 滝より白し 秋の蝶・・・」虚子▽
「春山も こめて温泉の 国造り」虚子▽
「大釜や 滝が沸かせる 水煙」巌谷小波▽
「山の秋の 水はさやけし・・・」下村海南▽
「山のあたま まろき緑を・・・」与謝野寛▽
「深山なる かじかに通ふ・・・」与謝野晶子▽

「まろき山 みどりふかぶかと・・・」九條武子▽
「直立に 南部赤松 遠郭公」大野林火▽
「おのづから なる山萩や・・・」清水棲魚▽
「翁草 道のべにあり 雨に濡れ」山口青邨▽
「われもゆく むかし芭蕉が・・・」吉井勇▽
「花の牧 赤松林の 月の出に」金子兜太▽

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花巻温泉内のホテル・旅館の予約
バラ園内やその周辺にある薔薇・噴水・碑・建物など
花巻温泉の周辺にある碑・蔵など
遊歩道コース(釜淵公園)にある滝・橋
約1,000本の桜が並ぶ花巻温泉のさくらの写真

金矢温泉「ホテル銀河パークはなまき」
花巻新湯本温泉「美翠館」

花巻温泉 碑めぐり

 花巻温泉周辺には、12の名句や歌を石碑にし、花巻温泉内のいたるところに建立しています。お気軽な散歩でこの碑をめぐるコースを紹介します。
 昭和2年、日本新八景選定時、審査員として中村草田男(くさたお)、星野立子、山口青邨、徳富蘇峯(そほう)、西条八十(やそ)、巌谷小波、清水不棲魚、九条武子、高浜虚子、与謝野鉄幹・晶子夫妻らが花巻温泉を訪れ旅情と情緒にひたり、そのすばらしい景観をたたえ、優れた名句や歌を残しました。その後も招かれて句会や歌会を開きました。


「高濱虚子」歌碑 「高濱虚子」歌碑@

「秋天(しゅうてん)や 羽山(はやま)の端山(はやま) 雲少し(くもすこし)」虚子
 佳松園の北側サービス道路沿いにあります。佳松園の専用駐車場に停めて見に行くことができます。
 羽山はこの句碑の後ろに見える山。端山は連山のはしにあるやまのこと。
 昭和八年八月、北海道旅行の帰途来訪。星野立子、中村草田男
らが同行し、地元俳人多数が参加して紅葉館にて歓迎句会が催された。碑はその際に作られた句。

高濱虚子(たかはまきょし)
1874(明治7)〜1959(昭和34)年/愛知生れ/俳人・小説家

 正岡子規の俳論を継承発展させ、「ホトトギス」をもって俳壇の主流を形成、俳壇の最有力者として活躍した。

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「高濱虚子」歌碑A

「釜渕の 滝より白し 秋の蝶 滝の上をあるきもし 橋を渡りもす」虚子
 釜渕の滝遊歩道を佳松園北側から進入し、紅葉橋を渡ってすぐ右側にあります。もちろん遊歩道ですので、自動車での進入は不可能。佳松園の専用駐車場に停めてから徒歩で行きましょう。遊歩道といっても冬以外はスニーカーで大丈夫です。ハイヒールはちょっと無理かもしれません。

「高濱虚子」歌碑B

「春山も こめて温泉(いでゆ)の 国造り」虚子
 花巻温泉の北側にある堂ヶ沢山の中腹、写真の進入口から約570mほど上った所にも、また別の「高濱虚子」歌碑があるらしいのですが、現在ここは立ち入り禁止になっています。残念ながら写真はありません。(要再調査)

「巌谷小波」歌碑 「巌谷小波」歌碑

「大釜や 滝が沸かせる 水煙」小波
 上記「高濱虚子」歌碑Aから少々南下し、滝見のデッキの手前にあるあずま屋の横にあります。
 大釜は釜淵のこと。その名にちなんで、水煙を釜からあがる湯気に見立てている。季語は滝で夏。

現代語り手論
巌谷小波(いわやさざなみ)
1870(明治三)〜1933(昭和八)年/東京生まれ/児童文学者・小説家・俳人

 児童文学作家として活躍しつつ、少年雑誌の編集や、内外のお伽噺の全集をまとめるなど、児童文学の各分野で先駆的な役割を果たした。童話、小説のほか、句集「さゝら波」を持つ。





「下村海南」歌碑 「下村海南」歌碑

「山の秋の 水はさやけし とちの實の 水底ふかく 沈めるが見ゆ」海南
 バラ園側から佳松園への進入口付近に、釜渕の滝遊歩道へのもう一つの入り口があり、そこから川方向へ数十m下った所にあります。入り口付近は一般道路ですので駐車不可。佳松園の専用駐車場か、バラ園付近の駐車場に停めてから徒歩でどうぞ。
 海南は、当温泉が「台遊園」または「台新温泉」と称していた大正13年に来訪。その際、下村は「花巻町はいずれ市になるだろう。この際温泉名は町名や駅名と同じにした方が将来悔いを残さないのではあるまいか」と意見を述べた。初代社長金田一國士がこれを聞き入れ、現在の「花巻温泉」という名称が生まれた。

みかどの朝
下村海南(しもむらかいなん)
1875(明治5)〜1957(昭和32)年/和歌山生まれ/ジャーナリスト・政治家・歌人

 逓信省に入省、朝日新聞社副社長、NHK会長などを経て国務相兼情報局総裁。「心の花」に所属する歌人としても知られた。





「与謝野鉄幹・与謝野晶子」歌碑 「与謝野鉄幹・与謝野晶子」歌碑

「山のあたま まろき緑を 重ねたる なかに音しぬ 台川の水」寛
「深山(みやま)なる かじかに通ふ 声もして 岩にひろがる 釜ふちの滝」晶子
 与謝野鉄幹(寛)・晶子夫婦は、昭和六年六月七月、啄木の足跡などを巡る北海道旅行の帰途来訪、松雲閣に投宿。(かじかはカジカガエルのこと。)

与謝野鉄幹(寛)(よさのてっかん)(ひろし)
1873(明治6)〜1935(昭和10)京都生れ/歌人・詩人

 落合直文の門下として和歌革新運動の一端を担う。のち東京新詩社を興し「明星」を創刊。妻晶子をはじめ、啄木、白秋、吉井勇ら、多くの人材を育てた。

 「初版発行日」 1981-02 「著者」  中 晧 (著) 「出版社」 桜楓社【中古】与謝野鉄幹 (...

24のキーワードで読む与謝野晶子
与謝野晶子(よさのあきこ)
1878(明治11)〜1942(昭和11)大阪生れ/歌人・詩人

 東京新詩社に入り与謝野鉄幹(寛)と結婚。第一歌集「みだれ髪」によって一躍脚光を浴び、明星派の中心作家として活躍。

定本与謝野晶子全集 与謝野晶子 昭和54年【中古】



「九條武子」歌碑 「九條武子」歌碑

「まろき山 みどりふかぶかと いくへかも ここのいでゆの ながめすがしも」武子
 バラ園内の一番上部にある歌碑です。バラ園は6月中旬から11月上旬まで、入場は有料。バラ園入り口の前には駐車場があります。バラ園散策には一般の履き物で大丈夫です。
 昭和二年九月、盛岡での岩手仏教婦人会の大会に招かれ、その翌日来訪。湯と山々に景色が大変気に入りこの歌を残した。

九條武子新装版
九條武子(くじょうたけこ)
1887(明治20)〜1928(昭和三)年/京都生れ/歌人

 西本願寺法主大谷光尊の次女。九条良致に嫁いだが、長く独居生活を送る。短歌は佐佐木信網に師事し「心の花」で活躍。

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「大野林火」歌碑 「大野林火」歌碑

「直立に 南部赤松 遠郭公」林火
 バラ園内でも上部の方にある歌碑です。近辺には茶室の葵亥庵があります。
 南部赤松は岩手県産のアカマツ。この周辺の山も多く生えており、特性は長大で真っすぐに伸びる。遠郭公は遠くで聞こえる郭公の声。季語は郭公で夏。昭和五一年六月来訪、敷地内やその周辺を巡り、この句を敷地に残した。

歩月
大野林火(おおのりんか)
1904(明治37)〜1982(昭和57)年/神奈川生れ/俳人

 臼田亞浪(うすだあろう)に師事し「石楠(しゃくなげ)」で活躍。のち「濱(はま)」創刊主宰。後進を育成しつつ、「俳句研究」「俳句」の編集にも従事し、俳壇に貢献した。

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「清水不棲魚」歌碑 「清水不棲魚」歌碑

「おのづから なる山萩や でゆの庭」不棲魚
  ホテル紅葉館を正面に見て左側の植裁の中に上記「山口青邨」歌碑と並んであります。

清水不棲魚(しみずふせいぎょ)
1894(明治27)〜1936(昭和11)年/岩手県東和町生まれ

 昭和5年東京日日新聞社の主催による日本新名所俳句募集で一席に当選。



「山口青邨」歌碑 「山口青邨」歌碑

「翁草 道のべにあり 雨に濡れ」青邨
 ホテル紅葉館を正面に見て左側の植裁の中に下記「清水不棲魚」歌碑と並んであります。花巻温泉内の駐車場であればどこでも利用可能。植裁の中なので見逃しやすいのが難点。
 翁草は日あたりの良い山野に生れ、この周辺にも多く見られる。全体に密生した長い白毛を老人の白髪に見立てた名。春の季語。故郷岩手には門弟も多く、句会指導などのためたびたび足を運んだ。碑の書は東大名誉教授で長男の梅太郎氏による。

日月
山口青邨(やまぐちせいそん)
1892(明治25)〜1988(昭和63)盛岡生れ/俳人・鉱山学者

 鉱山学者として東大教授を勤める一方、俳句を高濱虚子に師事し「ホトトギス」に参加。昭和五年「夏草」を創刊し、のち主宰した。杉並区の居宅は北上市の日本現代文学館前庭に移築されている。

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「吉井勇」歌碑 「吉井勇」歌碑

「われもゆく むかし芭蕉が 野ざらしの 旅に出でたる 秋風のみち」勇
 ホテル群とバラ園の間にある駐車場入り口にある歌碑です。
 「芭蕉が野ざらしの旅」は松尾芭蕉の「奥の細道」の旅をさす。芭蕉は花巻をの地は未踏であるが、ここでは広くみちのくを意味している。勇は昭和三年に来訪。花巻をはじめ、交友のあった啄木の故郷渋民村、小岩井農場、盛岡を巡った。

市井風流
吉井勇(よしいいさお)
1886(明治19)〜1960(昭和35)年/歌人、脚本家

 与謝野鉄幹(寛)主宰の「明星」に参加し、のちの啄木らと「スバル」を創刊。耽美的な作風で知られ、京都祇園と旅の歌で広く親しまれている。

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「金子兜太」歌碑 「金子兜太」歌碑

「花の牧 赤松林の 月の出に」兜太
 ホテル花巻から道路を挟んで向かい、駐車場同士のかどにある歌碑です。
 「花の牧」は「花巻」に掛けられている。赤松はこの周辺の山々に生える南部赤松をさす。季語は「月」で秋。平成五年、当温泉で開催せれた「国民文化祭いわて’93」に選者として招かれた折の記念句。

金子兜太の世界
金子兜太(かねことうた)
1919(大正八)年/埼玉生れ/俳人

 加藤楸邨に師事し「寒雷」に投句。戦後、沢木欣一の「風」への参加を経て、「海程」を創刊主宰。前衛俳句の騎手として活躍。

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参考資料:現地説明板、各施設パンフレット・HP、花巻観光パンフレット、花巻市広報、花巻温泉物語(熊谷印刷出版部発行)
※最新の情報は各施設、花巻市観光課/TEL0198-24-2111、(社)花巻観光協会/0198-22-5557へお問い合わせください。
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