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鉛温泉内の「藤三旅館」「心の刻 十三月」

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鉛温泉 心の刻 十三月▽

鉛温泉スキー場▽
鉛温泉 藤三旅館▽

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松倉温泉内の「悠の湯 風の季」、周辺の桜
志戸平温泉内の「ホテル志戸平・遊泉志だて」
渡り温泉内の「ホテルさつき・別邸楓」、「割烹旅館山翠亭」
大沢温泉内の「山水閣・菊水館・自炊部」
山の神温泉内の「優香苑」、高倉山温泉内の「豊楽園(閉鎖)」
鉛温泉内の「藤三旅館」「心の刻 十三」
新鉛温泉内の「結びの宿 愛隣館」


鉛温泉 心の刻 十三月 心の刻 十三月
この画像はじゃらん心の刻 十三月ページより引用いたしました



 鉛温泉・心の刻『十三月』は全14室スイートルーム。【新日本百名湯】の源泉を掛け流しでの露天風呂を全室にご用意。  癒しを感じる居心地の良さと個を重視した空間を融合させお客様をお迎え致します。(じゃらんより引用)

鉛温泉 心の刻 十三月(なまりおんせん こころのとき じゅうさんがつ)
住所 住所:〒025-02583岩手県花巻市鉛字中平75-1
泉質・風呂数 単純温泉・アルカリ性単純高温泉(全室露天風呂付、男女入替1、藤三旅館のお風呂も利用可)
予約・詳細 詳細・他の写真・空室検索・宿泊プラン・予約は下記画像をクリック




鉛温泉 藤三旅館 鉛温泉 藤三旅館


 高倉山温泉(閉鎖)と新鉛温泉の中間に位置する鉛温泉です。豊沢川沿いにある一軒宿の「藤三旅館」にはである「湯治部」(旧自炊部)があり、毎年来欠かさず訪れる湯治客いるほど。田宮虎彦の小説「銀心中」の舞台として知られ、文学の香り漂うひなびた雰囲気も魅力です。
 ここには全国的にユニークで有名な湯船があります。それが「白猿の湯」。一見、普通に見えますが、入ってみるとビックリの1.25mという子供なら足がつかない深さ。大人でも座ることは不可能で、立ったまま入浴するのが正しいスタイル。立ったままの入浴は、血行によく健康増進にもなると言われています。ここは基本的に混浴ですが、1時間ないし、一時間半ずつの女性専用時間を設けていますので、女性でも安心して入ることができます。
ほかにも、高山から湧き出る合計5つの源泉があり、それぞれ異なった湯船を愉しむことができます。
 県道を挟んだ目の前には岩手のスキー場の中でも草分け的な存在の鉛温泉スキー場もあり、スキー後の冷え切った身体をここの温泉で温めるのにもとてもいい環境です。
 駐車場は玄関横に15台ほどと、建物から数十メートル離れた県道沿いに80台分あります。

藤三旅館(ふじさんりょかん)
住所 住所:〒025-02583岩手県花巻市鉛字中平75-1
泉質・風呂数 単純温泉・アルカリ性単純高温泉(混浴と女性専用入替1、男女入替2)
予約・詳細 詳細・他の写真・空室検索・宿泊プラン・予約は下記画像をクリック




鉛温泉の由来
鉛温泉 藤三旅館

渓谷の温泉宿  岩手県鉱泉誌内温泉記には「鉛温泉は宝暦年間(1751〜1763)、邑人藤井三右衛門なる者発見せしというふ、然れとも未た浴場を設けさりしに其子三之助天明6年(1786)に誤て負傷せしことあり、試に雨露を凌の仮小屋を設け、此の湯に浴せしに寄効ありて創傷忽ち癒たり茲に初めて浴場を創開の志あり、越て天明8年(1788)に家屋を構造、寛永元年(1789)に湯壺を改良し、両6年に家屋を改造せしといふ」とある。
 藩主南部利剛公はこの鉛温泉で湯治中に八カ所の景勝を選び、自分が一首を詠み、家臣に七首を作らせた。その「鉛八景図帳」は御仮屋を管理していた花巻市桜木安城寺に保管されてる。
 また、入浴しながら眺望できる滝があり、慶応2年(1866)に第44世藩主南部利剛の目付役、江刺恒久が「水上の いわね 木のねに せかわつつ われて落来る 沢田尻の滝」と詠われました。

鉛温泉の由来

 今から約500年前、当温泉主藤井家の遠祖が高倉山麓に於いて薪樵の折白猿が岩窟の中より出で桂の木の根元から湧出する泉で手足の傷を癒して居るを発見、これが温泉の湧出であることを知り後、嘉吉3年の頃小屋を建てて一族が天然風呂として用いたと伝えられている。

日本映画を歩く  因に藤井家の遠祖は稗貫城主、藤原千夜丸の三男業忠公が円満寺膝立村を賜り膝立蔵人と名乗り其の子膝立弾正輝忠公(後の花巻安浄寺の開祖)の郎党で輝忠公>延享12年江刺勢と私斗し利非ずして当鉛村に敗走来り寺小屋を開塾し、またその郎党は附近の林野を開拓し木樵百姓等に変じて世を忍ぶ生活を営んでいたものという。
 其の後宝暦年間(1751年〜1763年)子孫の三右衛門が大衆の浴場となすべく安浄寺住僧のはからいにて役司の許しを得当時の大飢饉震災の苦難を克服し天明6年(1786)子三之助の代となり初めて長屋を建てて温泉旅館業を開始せしという。これが即ち薬泉霊場として世に名声の高い>鉛温泉天然風呂「桂の湯」別名「白猿の湯」の由来である。





参考資料:現地説明板、各施設パンフレット・HP、花巻観光パンフレット、花巻市広報、花巻温泉物語(熊谷印刷出版部発行)、花巻のあゆみ(花巻市博物館発行)
※最新の情報は各施設、花巻市観光課/TEL0198-24-2111、(社)花巻観光協会/0198-22-5557へお問い合わせください。
※宿泊施設データは花巻市観光課・(社)花巻観光協会発行パンフレット「温泉道楽」から引用したものです。
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